ノスタルジックサイエンス

どうも、チャッソです☆

雨がしとしとと降り、気温も下がり、

なんとなくノスタルジックな気分になってしまいます。

自分は何のために存在しているんだろう。

なんの目的もなく、ただ生きればいいのだろうか、なんて考えたり、

もう二度と会わないであろう過去の友人の事を思い出して切なくなったり、

いつか大切な人がこの世から消えてしまうことに悲しんだりしてしまう。

いまの自分がどれほど恵まれていたかを後で思い知るのかと思うと、

生きることは常に不満に満ちていて、これからもっと不満は充満していくのだろうかと悲しくなります。

今こだわっていることを一つずつ手放して、

心が軽くなる反面、若い人達から『あんなふうになりたくない』と思われるようになるかもしれないし、

お金を山ほど手にしたって本当は満たされないのかもしれない。

だけど結局、それを体験してみないと永遠にわからないから、

それを手に入れようとするのだけれど、

手に入れられた頃には既に何か大切なものを失っているのかもしれない。

満たされることが、結局のところ肉体的、神経的なエネルギーが満ちることだというなら、

地球は二酸化炭素の濃度をどんどん上げていくので、酸素濃度は下がっていき、

活力が失われていくかも知れません。

そうやって変化していく環境に適応するように、人間は科学を発達させていくでしょう。

そうでなければ、人類は生き残れないでしょう。

人間はいつか、永遠に若いまま生き続けるようになりうる。

しかし、永遠に生きることが、生きること自体の質を貶めてしまうかもしれません。

何もしなくても、頑張らなくても、生きていけるなら、

全く行動しなくなる個体が現れそうです。

人間がなにか特別な存在だというなら、

永遠の命を得ても、きっと活動を続けるでしょう。

それはきっと、その人自身にとって限りなく豊かな営みであり、

全てのものへの限りなく深い愛情であるに違いありません。

それは今の人々には理解できないものでしょう。

人間がコンピュータと物理的に繋がる日はそう遠くはありません。

例えば腕や足を事故や先天的な病で失った人は、

普通の人よりもずっと良い機能を持つようになっています。

オリンピック選手よりも、パラリンピック選手の方が記録が速いのです。

そんな強さを得たいと思う健常者の人が増えてもおかしくありません。

いや、間違いなく未来では、人間は能力を高めるために肉体をサイボーグ化するようになっているでしょう。

脳とコンピュータを繋げることで、地球の酸素濃度を上げなくても、

何十分も海に潜って泳ぐことができるようになるし、

全速力で何時間も走れるようになります。

ナノボットという超小型のロボットに体内を徘徊させることで、

ガン細胞やアミロイドタンパクを除去し、

ガンで死ぬことも認知症になることも無くなります。

脳のシナプス全てをアップロードして、

人間の意識を肉体の外に出すことができると発言する科学者が続出しています。

嘘でしょ?と思うような世界が、これから間違いなく、次々と実現していくことでしょう。

きっと今の僕のノスタルジックな気分は、そんな漸進的な世界では、感じることもなくなるでしょう。

本当に、限りなく限りなく貴重な体験をしているのでしょう。

まだ、お金にならないものはそれほど大切だと思われない時代だとは思いますが、

高度な機械化が進み、人間の手がいらなくなった時、

この一瞬一瞬の大切さに気づくようになるのかもしれません。

そうなった時、人は誰もが本当の意味で芸術家になるかもしれません。

それではなぜ、このような軋轢を感じる時代が人間にあるのでしょうか。

やりたくないことを社会を維持するためにやり、

顧客の前ではさも楽しくて嬉しくて仕方ないような顔を装って、

どこかで心を見失っていく。

このような苦しみを、なぜ人は経験するように運命付けられているのでしょうか。

親の介護に疲弊してしまったり、

子が親から虐待されたり、

愛する人が事故で無残な姿になったり、

同じ人間同士が憎しみあったり殺しあったり、

なぜこのような幸せとはかけ離れた体験を、人間は運命づけられているのでしょうか。

これらをどう受け止めたら良いのでしょうか?

全てへの限りない慈悲を感じ、

全てへの限りない愛を感じること、

それが人間の、最終的な姿なのかもしれません。

つまり、この地球が本当に最適化されて、

人類はただ自由に遊んでいればよくなって、

誰も、何も傷つかないような世界になれば、

過去の苦悩を経験した人達への限りない慈悲を感じることが、

人の自然な姿になるのかもしれません。

今生きている、たった一度きりの存在を限りなく愛し、

ただただ『ワタシハココニイル』と伝え、

ただただ『キミガソコニイテヨカッタ』と返すようになるのかもしれません。

そんな世界で、自分が1番になろうとあくせくするのは、悲しみ以外のなにものでもないのかもしれません。

今を生きる私達も、もっと自分の本当の心と向き合って生きていくべきではないでしょうか?

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