彼氏に『会いたい』と言われなければ不安になる彼女の本当の存在価値

どうも、惹句です。

僕の彼女は膠原病の一種であるSLE(全身性エリテマトーデス)を患っています。

そのせいか精神不安が強く、よく心が不安定になって苦しんでいるようです。そんな彼女がどうすれば自分自身に自信を持つことができるかをよく考えていました。

ある夜、二人で話していると、

アヤリ
惹句に『会いたい』と言われないと不安。
アヤリ
惹句に必要とされていないと自分には存在価値がない。
アヤリ
惹句を幸せにしていると思えないと安心できない

と言っていました。そこで、彼女が彼女自身の本当の存在価値に気づいてもらうために必要なことについて考えてみましたので、今回はそれについて綴っていこうと思います。

自分の心と向き合う方法

まずは対話形式で自分の心と素直に向き合ってみると良いかもしれない。例えばこんな感じで。

惹句(ジャック)
なんでアヤリは俺をハッピーな気持ちにさせることができていると思えれば安心できるの?
アヤリ
なんでだろう…自分に価値があると思えるから?
惹句(ジャック)
じゃあどうしてアヤリは自分に価値があると思いたいの?
アヤリ
それは…自分に価値があると思えないと生きていけないから。
惹句(ジャック)
具体的にどんな価値が欲しい?
アヤリ
人を幸せにすることができて、元気を与えられるような人になりたい。そうなればきっと自分が無価値だと思って虚しくなるようなことはなくなると思う。
惹句(ジャック)
アヤリに価値があるかどうかは他人に幸せや元気を与えられるかどうかで決めている、そういうこと?
アヤリ
まあ、そうかもしれない

このやり取りでわかるのは、アヤリは自分自身の価値を他人を喜ばせられるかどうかによって測っていたということ。

実は、アヤリが最近不安を感じていたのには別の理由があった。

それは昔から仲の良かった友達のユイちゃんから、「年末に忘年会をしよう」という内容のLINEのメッセージを既読無視されてしまったというもの。アヤリはユイちゃんにどうして無視されているのか、何か嫌われるようなことをしてしまったのではないかと不安になっていたのだ。

しかし、

ユイちゃんがアヤリのLINEを無視したのが、ユイちゃんの中でアヤリの価値が下がったからだとしても、それはユイちゃんの問題であって、アヤリにはなんの問題もない。あるいはアヤリの失言や態度などによってユイちゃんがアヤリと会いたくないのだとしても、それくらいの失敗や過ちは誰にでもあるし、それを許してくれない人に好かれるために自分を否定する必要なんてない。そんな人に好かれるには自分を偽るしかないのだから。だがもちろん、LINEを既読無視されるのが悲しいのはわかる。それについては後述することにする。

逆にユイちゃんの立場に立ってみる。ユイちゃんがアヤリの言動や態度にものすごく辛い思いや嫌な思いをしたのなら、『アヤリともう会わない』『連絡を取らない』という選択をしてもかまわない。ユイちゃんのキャパシティはユイちゃんにしかわからないのだから、どんな選択をしようがそれはユイちゃんの自由。だけどそれはあくまでユイちゃんの問題なのだ。アヤリだってアヤリの弱さと向き合いつつ少しずつ良くなっているのだから、本当はまったく悪くなんてない。誰だって初めは弱いし、失敗はするし、強くなるのには時間がかかる。誰もが自分のペースで、ちょっとずつ良くなっていこうとしているわけだから。

このことがきっかけでもしアヤリとユイちゃんの縁が切れてしまったとしても、それはただ二人のタイミングが悪かったというそれだけの理由だ。そんなふうに人間関係が切れてしまうのも、また受け入れるべき人生の出来事の一つなのであって、アヤリもユイちゃんも自分自身を責める必要など露ほども無い。二人は良くなろうと最大限の努力をしていて、その上で関係性が失われてしまったのなら、それは二人ともが受け入れるべき事実なのだ。決して二人とも、自分を否定してはいけない。

もし自分に足りないと思っているものを既に持っているとしたら?

少なくともアヤリは俺をハッピーにしてくれるし、茶目っ気で和ませてくれる。めちゃくちゃプラスのことをしてくれてる。だからこんな風に考えてみると良い。

『アヤリが俺をハッピーにしてくれているように、もし色んな人を当たり前のようにハッピーにできるとしたら、どんな気分になる?』

『アヤリが他人からの評価を必要としないとしたら、今何をしてどんな風に過ごす』

『たとえ嫌われても嫌う人に問題があってアヤリにはなんの問題もないとしたら、どんな風に人と接していまどんな風に考えてる?』

嫌われたとしても気にする必要はない。なぜならほとんどの場合、それは嫌う側に問題があるのだから。なぜそう言えるのか。例を挙げよう。

たとえば厳しい家庭に育ってお洒落を全く出来なかった女性は、思う存分お洒落をしている女性を見て妬むことがある。でも人は皆自分の価値観に従って生きることでしか幸せにはなれないのだから、誰かに自分のお洒落を否定されたって、そんな人の言う事をわざわざ聞いてわざわざ不幸になるなんてのは馬鹿げてる。

たとえをもう一つ。例えば人と上手くやることができない人がいるとする。するとその人は大勢で楽しく遊んでいる人たちを見て、「大勢で群れて何が楽しいの?一人じゃ何にもできないんでしょ?」なんてうそぶいて群れて遊ぶ人を否定するかもしれない。でも何が楽しいのかは人によって違うのであって、自分が本当に人と関わらずに一人でいるのが好きなのならそうすればいいし、本当は人と上手くやりたいのなら人と上手くやる方法を見つければいい。自分を肯定するために他人を否定する必要はないし、他人を否定することでエネルギーを使うようなもったいないことをして時間も浪費するようなことはやめておいたほうが良い。

そのように、人は自分の持っていないものを持っている人を知らず知らずのうちに否定したくなるものなのだ。

「なんかこいつ、嫌い」

と。

それはきっと誰もがしてしまうこと。だから、気にする必要はない。

他人には自分の感じていることなんて絶対に分かりっこない

他人には自分の心なんて絶対に分かりっこないということを示す例を挙げよう。

たとえば虐待されて人間不信になった少年Aが、その後愛情を注がれまくって自分に存在価値を見出すことができるようになった。『自分はちゃんと愛される人間なんだ』と思える体験をしたから、人と接することが好きになって色んな人に愛され始めた。かつては荒れていたが、今はいろんな人に心から感謝できるし、愛のある人たちに囲まれて幸せに暮らしている。

一方、虐待をされたわけではないが家族や親戚から何をするにしても否定されてきた少年Bは、虐待をされるなどして大変な幼少期を過ごした他人と比較するとそれほど悪くもない家に育ったかのように思える。それだけに色んな人に『虐待されたり大変な思いをする奴はいくらでもいるけれどお前は幸せだ』とか『お前は良い家庭に生まれて良かったな』とか言われて、少年Bは心の底から両親に感謝出来ない自分を心のどこかで責め始めるかもしれない。その微かな引っ掛かりが原因で、「自分は良い奴じゃない」「自分は欲が深い人間なんだ」と思い込むようになり、その思い込みが人を何となく遠ざけてしまうことにもなるかもしれない。少年Bは幼少期に虐待されて育った少年Aの幸せそうな様子を見て、『自分は少年Aより恵まれた環境で育ったにも関わらず、感謝できない人間で、人にも愛されない』と比較して、さらに自分を否定する。そして孤独が自分には逃れようのないものだと思い込み、徐々に心が荒んでいくかもしれない。

別の例を用いる。例えば普通よりも勉強やスポーツができたり、普通よりも異性にモテたりするせいで、自分の心と向き合う機会を失ってしまうことだってある。なぜなら自分の心の声を聞くよりも、自分の能力を使って両親や先生、異性を喜ばせている方が良いような気がしてしまうからだ。しかしそうやって自分の本当の思いを抑え込むことが当たり前になってしまったせいで、大人になってから徐々に心がすり減っているような感覚が自分を襲い、次第に精神を病んでしまうかもしれない。

そんなふうに(いや、実際にはもっと微妙で、もっと複雑だろうが)、人の人生の出来事は複雑に絡み合っていて、心の中のモヤモヤというものは自分以外の人間には決して理解されることはない。本当は誰もがモヤモヤを抱えていて、心の底からそんなモヤモヤを解消したい、良くなりたいと思っていて、実際誰もが良くなるために最大限の努力をしている。だけど、様々なことが複雑に絡まりまくっているからこそ上手くいかないことがあって、上手くいかないことや失敗すること自体を責めたりしてしまうことさえある。さらに『もっと自分を変えなければ、自分はダメなんだ』なんて考えてしまうこともあるだろう。そうやって不幸の輪廻に陥ってしまう。

物事をシンプルにするために今の自分を完璧に肯定してみる

だから、まずは物事をシンプルにしよう。その鍵は今の自分自身をまず完璧に肯定すること。そして自分の人生をまるごと完全に肯定すること。そうやって、自分に絡まりまくっているモヤモヤした蔦をふわりと外すことができる。

どんなことが自分の中で絡まりあってどんな風にモヤモヤして、それにどんな苦しみを感じてきたかなんて、他人には絶対に分からない。だからこそ、誰もが自分自身の人生を自分なりに生きてきたこと、それも最大限良くなろうと努力してきた自分が宇宙一素晴らしいのだということを理解すべきだ。いや、実際には比較なんて出来ない。なぜなら人の苦悩はこの宇宙で自分だけが経験したものであるからだ。故に誰からもわかってもらえず、それでも虚無感や孤独感に耐えながら最大限良くなろうと努力してきた偉大な自分に対して、他人の評価で自分自身の価値を上げたり下げたりするなんて、失礼過ぎる。苦悩のレベルを他人と比較するなんてのもなんの意味もないことだから、今すぐにやめた方が良い。

あなたは自分の物語の中で、限りなく優秀で素晴らしく、愛らしい存在なのだ。それ以外はありえない。たとえ過去にどんな過ちを犯したにせよ、それはあなたが虚無と孤独を抱えつつも最大限に努力した結果なのだから、本当はちっとも恥じることも悔いることもないのだ。

そんなあなたの価値を、他人の評価なんかで測ってもいいと本当に思いますか?

自分の中に既にある力を呼び起こすために

だからこう考えてみて。

『もし自分の価値があまりにも高すぎるが故に、他人からの評価なんてゴミクズと変わらなくて鼻で笑っちゃうとしたら?』

『もし嫌われても全くあなたが動じないとしたら、あなたはどんな気分で日々を過ごしているだろう?』

『もし自分自身を本当に素直に表現しても愛してくれる人がいくらでもいるとしたら?』(→それで愛してくれない人に愛される必要がそもそもある?実は、人は弱さや愚かさがあるからこそ愛されるのです。)

『自分のしたいことをして生きることができるとしたらあなたは何をする?』(→自分のしたいことをしてはいけないと言う人が正しい保証なんてあるわけが無いよね。価値観は時代によって変わるのだから自分の価値観が普遍的なものだと思っている人は未来で恥をかくに違いない。)

『自分には夢を叶えられる力が既にあるとしたら、あなたはいま何をする?この1週間をどんな風に過ごす?』(→自分のことを信じることほど自分に力を与えられることはないのに、あなたは『自分を信じない』なんて勿体ないことをするの?「あなたには夢を叶えられる力なんて無い」と言う心ない人の言葉なんかに耳を傾けて、自分のことを信じる自分の心の中の声には耳を傾けないの?)

『あなたが成功するのが間違いないとしたら、どんなことで成功したい?今どんなことをする?』

他人は基本的に、あなたの過去だけを見ている。あるいは過去を見た上であなたの現在や未来を判断しようとしている。

だけどあなたは、あなたの中の自分のイメージを今すぐに変えることが出来る。この宇宙で唯一の苦悩を抱えつつも最大限良くなろうと努力した、文句なしで宇宙一素晴らしい現在の自分になることが出来るし、未来で夢を叶えることが確実であるという仮定を立てて、自由に未来を描くこともできる。

そんな風に考えることによって得られるパワーは、誰に認めてもらうよりもはるかに強い。はっきり言って次元が違う力なのだ。だから本当は、あなたの現在と未来はあなただけが持っている。他人の評価や未来予測なんて気にする必要ないのだ。なにか言われたならそれは、実際クスッと笑ってしまうようなことなのだ。『あーはいはい、それはあなたの考えであって私には全く関係のないことですので』ってあなたが言って鼻で笑えるようになる時は近い。

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